「神々の山嶺」(下)
以下引用
「高度が高くなったり、疲労が濃くなると、生きようという意志が、つい、粗雑になっちまう。そうなったらおしまいだぞ」
ひとつの遠征で、頂上をねらう者は、何千回、何万回、何十万回ーそれ以上もの一歩を踏み出す。場合によっては、そこで踏み出す一歩ずつのことごとくが、己れの意志でコントロールされていなければならない場所もあるのだ。
しかし、24時間、それを何日も何十日も持続できるか。時には、ふっ、と気が抜ける時もある。ある一歩を、つい何気なく連続した動作の続きとして、前に踏み出してしまうことだってあるのだ。その時に、たまたま、その一歩がその登山家の生命を奪うことあるあるのだ。
以上引用終わり。
極限状態でのみできる、自分の内部との対話。非日常だかこそできる自分の弱さとの対話。
そこでしか対話できない自分の一面があるから、ヒトは山に向かうのかもしれない。
下界に帰ってくると実感する日常のありがたさ。そして、しばらくすると失われてしまうそのありがたさ。
そのありがたさを取り戻しに、ヒトは山に向かうのかもしれない。