「獄中記」佐藤優
以下印象に残った記述
ーかつて行った政治的行為が後に「犯罪」として断罪されることはそれほど珍しいことではない。問題は何故にそのような価値観の転換がなされるかということである。ここで個人は記号化、象徴化され、1つの時代の責任を負わされる。重要なことは、このような価値転換の背景にあるパラダイムの転換を見極めることである。
ー尊厳とは、「プライドを高くもつ」ことではない。人間的思いやりをもち、憎悪や嫉妬に基づいた人間性の崩壊を防ぐこと。
ー表彰などということで志気を左右されることは大変恥ずかしい現象である。
ー知識人とは自己の利害関係がどのようなものであるかを認識した上で、自己の置かれている状況をできるだけ突き放してみることでできる人間だと考えている。この訓練が一般教養であり、哲学なのだと思う。この訓練を欠いて知識や技法だけを身に付けると、自分の世界の切り口からしか他の世界を見ることができなくなってしまう。
ー神学的には「非理性的であるが故に私は信じる」ということで、理性的なものを追求しても最終的な意味はないのではあるが、理性的な世界を限界まで追求することにより、それ以外の世界がわかるので、無意味な作業ではない。
ー人間の平均化は危険だ。それを打破するためには、きちんとした学識・教養を身につけ、自分の頭で考える習慣をつけるしかない。
ーフーコーによれば、監獄は近代になってから生まれた制度で、近代の軍隊も病院も学校も工場も役所も、構造は監獄と同じだという。
以上引用おしまい。
この本から構造的には監獄と同じ病院の中で、どのように生き延びればいいかというヒントを得た気がする。
今日は初めて病欠してしまった。体調を崩してみると、同期・先輩・看護士さん・事務の方々など色んな人が優しい声をかけてくれることが如何にありがたいことか骨身に染みる。
体調管理も大切ですね。
久しぶりの(5ヶ月ぶり)更新でした。