2010年2月17日水曜日

一歩引いて考える


自分の経験や立場から一歩引いて、考えたり意見を出したりするのは、難しい。

雰囲気に流されないようにするには、大方の方向性が決まり始めた時にも敢えて反対の意見を出してみて、一度ニュートラルに考えてみてから、そちらへのギアチェンジをしても遅くはないと思う。

特にある程度の齢を重ねてしまうと、それなりの経験とそれなりの立場があるため、縛られずに客観性を保つ訓練を意識して積んで行いと。
思考をこのように刻むこともある意味で客観化の訓練に役立っているのだろう。


相手に聴いて良かったと思ってもらうには、こんな自分とでも共有した時間が有意義であったと思ってもらうには、相手のニーズに合った話しぶり+コンテンツであるべき。


○○力と表現する時、それらを要素還元してさらに細かく分析できるのではないか?
例えば、芸術力があったとする。それは、表現力、独創力、写術力、構想力、・・・・などと要素還元できるだろう。要素還元では失われてしまう総体として、芸術力と表記しているのか?
それともそれ以上の還元を諦める、諦めさせるためのタグとして使われているのか(分析・説明の怠慢)?
それとも、そのような造語を言い出したヒトが先駆者のようにみられるためなのか?

・・・と自分が抱く〇〇力に対する違和感がこんなところからあるのでは?ないかとふと思った。

1と2は全く関係ない。