2009年7月27日月曜日

虚構の砦

虚構(メディア)の砦 真山仁

全体としては山崎豊子の沈まぬ太陽を彷彿とさせた。
手法としては、現実の事象をベースにうまく文字って再構成させる手法はうまいと思った。読者は、文字られた現実の“それ”に対する背景を思い出すので、よりうまく物語に引き込むこと、登場人物に対する思い入れを持たせること、ができる。過去に起きた事件を自分の中でも、思い出した。
「ハゲタカ」は書籍でも、ドラマでもノーマークだったが、この本を読んで読みたいと思えた。

久しぶりに小説を読んだ。作品の出来栄えに読書への餓え・日本語への餓えが相乗効果としてあり、TOEFL受験会場からの帰路から、一気に読んでしまった。登山前の仮眠時間が半減されたが、それくらい引き込まれた証左だろう。

話は変わるが最近、勝手に批判的吟味をしてしまう自分に興ざめすることがある。
例えば、ドラマで話の筋に対して少し強引に主人公がドライブするシーンが出てくる。スポンサーをチャックすると、やはり有名車メーカーがスポンサーだった。
今回の著作でも、時事ネタを思わせる事件が作品内で出てきたら、勝手に出版年や作者の年齢などの背景を巻末をめくって調べていた。
作品の背景を知った上で、どんなバイアスがあり得るのか、書かれた時期と現在との差は何かなど知るのは重要。が、しかし純粋に作品を楽しんだり、味わったりすることができていない自分に歪みを感じてしまう。
作品の楽しみ方は人それぞれ。いろんな方面からスポットライトを当てて多角的に捉えることも必要だが、感じるままにストレートに作品を味わいたい。“知る”、“賢くなる”とは自分の直感に疑念を投げかけることなのだろうか。