2009年12月6日日曜日

「理系」が未来を変える! 続編

先日のシンポジウムに関して、十分に意見・感想を述べられなかったため追記する。

本来、理系が果たすべき説明責任を果たしてこなかったため、(仕分けでザックバランに切られるような)このような事態になったのだと思う。金をせしめる時(すみませんストレートな言い方で)は、「こんなに社会に役立ちますよ」と歌っておきながら、いざ金が削られる時になると「科学は聖域だから」「科学技術立国日本を壊すのか」という二枚舌を使っていたツケが回ってきたのだと思う。そのような「甘え」に一石を投じた意味でも今回の事業仕分けは意味をなしたと考える(個人的には、出身も合わせて科学応援派なので、科学のための費用を削られることには抵抗を感じるが)。

ちなみに、フロアからの意見として出ていたが、日本はあまりに綺麗事しか見せていないことにも問題があると思う。確かに科学を進める上で、「宇宙の起源に迫る」「医学の進歩に貢献する」「地球環境の改善に役立つ」などの綺麗事を言うのは、多くのヒトを引き付ける上ではそのようなある意味プロパガンダ(別の言い方ではリーダーシップ・夢、悪く言えば美辞麗句)は必要だと思う。しかし、一方で、その研究を進める上で、金銭感覚や、当たり前の社会常識を身につけずに研究室という限られた空間だけに留まっているのは、(特に国立大では)血税を投入してもらっているという身ではおかしいと感じるべきだ。メディアもあまりに汚いもの(金、死、生、性など)に蓋をした報道をしたきただけに、多くの学生には突然社会に出た瞬間に清濁併せ持てというのも酷だと多分に思う。

そして、斜陽の国にいる限りは、いくら「国民の健康・命のため」というスローガンを掲げてもある程度は合理的にあるべき医療体制に余波がくると考えるのは想像に難くない。これからは予防と疫学の時代が主流になるだろう。

M君に自分の記事を引用してもらえて非常にうれしいと思う。これは、本来このシンポに来たくても来れなかったO君のためにその要訳+意見を記載したものだからだ。
卒論が終わったら連絡下さい。大学時代に読んで欲しい多くの本をキープしてます。きっと卒論でしか味わえない深い世界もあるけれど、燃え尽きてはいられないと思えるくらい広い世界もあると思う。