2009年12月22日火曜日

知の鎖国

知の鎖国―外国人を排除する日本の知識人産業  アイヴァン ホール

「・・・日本の若者は興味の対象がしぼられた序列の厳しい集団の活動一辺倒になってしまう。級友同士の横の結びつきは生涯つづくと思われ、強い絆は将来OBが学生を自分の会社に勧誘するのに役立つ。外国人の学生はどうしてもこの基盤に入り込めない。彼らは単に通り過ぎていく存在だし、彼らの母国では「参加する」だけでこんなに厳しい要求が突きつけられることはない。」
→実際に部活の延長で、働きはじめることも多いだろう。多少なりとも「体育会」の身を置いていたからこそ、この結びつきの強さはよくわかる。この結びつきの特殊性を理解した上で、暖めていこう。

「日本が約束する「国際化」とは、実際、どちらかと言うと絶え間ない不安を解消する自己防衛の手段であり、世界の国々との活発で外向的なかかわりをさすのではない。」
→本当に「国際化」を果たせたなら最早口にはされないはず。できていないからこそ、「やりますよ」というポーズだけみせて実際は遅々として進まない。

メディア・法曹界・大学に旧態として残る見えない壁。その根底には、自由競争によりポストを奪われてしまうかもしれないという恐怖があり、「島国だから特殊なんだよ僕らは」という島国根性な言い訳をつくり、他の民族には持ち得ない精神性を有しているという優越感に浸るための装置なのだ。
うん年前の欧米から植民地化される近隣諸国を横目に自分たちは植民地化されないために自分たちで国を守らなければならない、というイメージが払拭し切れていないかも。

10年近く前に書かれた本だが、親日派の著者があえて苦言を呈してくれているだけに真摯に受け取るべきだろう。
視聴者として日本の政治家や官僚に対して不平・不満を言っている、その背中で同じ内容を海外の方から自分たちに言われているのだろう。

そして、以前程魅力を失った日本に「国際化」を要求することも少なくなってきているのだろう。はるか以前に帝国の座から滑り落ちても、なお影響力を保ち続けている英国に何かヒントがあるのではないだろうか?

「日本」を「科学」に言い換えられる。「自分」にも言い換えても自分にも思い当たるふしは大いにある。

以下この本を手にするきっかけになった記事
Kiyoshi Kurokawa's blog
「知の鎖国:外国人を排除する日本の知識人産業」と、科学研究関係の「事業仕分け」

http://www.kiyoshikurokawa.com/jp/2009/12/%E7%9F%A5%E3%81%AE%E9%8E%96%E5%9B%BD%E7%B6%9A%E7%B7%A8.html

http://www.kiyoshikurokawa.com/jp/2009/12/%E7%9F%A5%E3%81%AE%E9%8E%96%E5%9B%BD%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%82%92%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AE%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E4%BB%95%E5%88%86%E3%81%91.html