2010年3月25日木曜日

なぜ要素では勝てるが、全体では負けるのか?

最近、繰り返し考えているこの問題について少し考察を加えたいと思う。
以前勉強していた航空宇宙工学でも、現在学んでいる医学でも、この前話を聞いたイメージングサイエンスでも、よく耳にする原子力技術の国際競争でも、あらゆる分野で言われているのは、「要素で勝てるものを持っているのに、トータルでは負けてしまう。その原因に日本には、全体を俯瞰できるリーダーがいないからだ。」と。
フィギュアスケートに例えれば、4回転ジャンプを飛ぶ技術は持っているのに、ステップや演技力などがないため全体としてまとまりがなく、総合点は低くなってしまう感じだろう。

①日本人は個々が(中途半端に)優秀なので、リーダーが生まれにくい
②職人芸や職人気質や一子相伝と言われるような経験知に依っている技術が多いから
③壁を超えて他の分野との交流は、他に文句をつけるような「野暮」なことだから、遠慮
④皆、目の前のハードルを超えることに精一杯で、少し距離をおいて俯瞰しようとしないから


教育に対する考え方も反映している。米国などでは、極論すれば1人の天才を育てるための教育が基本であり、残り99人の凡才には目もくれていない。
日本では、極論すると99人の平均点少し上の凡才を育て、1人の天才はその芽をつむがれる。


日本人は器用なだけに器用貧乏になっているのではないか?なぜその器用さを伝えるように言語化、体系化しようとしないのか?そもそも、言語化不可能な技術なのかもしれない。それでも言語化したり、より多くの方と共有(シェア)しようとしないと。短期的利益にはなるかもしれないが、長期的成長はすぐにプラトーに達するだろう。


専門家に任せておけばよい。という国民性も反映しているのではないか。


救急の世界では、必ず目の前の傷病者に取り付く前に現場を見渡して、現場の把握に努めるのが鉄則だ。なぜなら、目の前の傷病者の他にもっと緊急度の高い傷病者が少し離れているかもしれない。そして、目の前に飛びついてしまうと、その処置に集中して他の傷病者に気付けなくなってしまう。
目の前のハードルで精一杯になると、そのハードルが社会全体の中でどのような位置づけにあるのか、人生のキャリアの中でどのような意味があるのか、を見失ってしまう。まさに「ハードル競争のためにハードルを飛ぶ」ことになってしまい、「理想、目標に向けてハードルを飛ぶ」ことを忘れてしまう。
試験でも合格点を超えるべき試験と少しでもいい点を求められる試験では、全く取り組み方は変わる。

今日は大学では卒業式がある。
今までの活動の場を変えても、皆様の益々のご活躍を期待します!